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ガリレオ・ガリレイ、地動説

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ガリレオ・ガリレイ(1564年〜1642年)

「それでも地球は動いている」

ガリレオは、1609年、とても優れた天体望遠鏡をつくり、毎晩、月や星を観察し研究を進めていた。この時代は、アリストテレスが説いた、全ての天体は地球の周りを回っているという「天動説」を疑う者はいなかった。一方、コペルニクスの説いた、地球は他の惑星と同じように太陽の周りを回っているという「地動説」も発表されていた。ガリレオは研究を重ねる中で、コペルニクスの地動説が正しいと考え、「天文対話」という本を書いた。しかし、ローマ法王庁は、地動説は宗教の教えに背くものであり、考えを改めなければ厳罰に処するとの判決を下した。ガリレオは、やむなく地動説をすてたが、「それでも地球は動いている」とつぶやいたという。時代と宗教の圧力により、ガリレオの地動説は受け入れられなったが、その研究と発見は素晴らしい功績を残した。時代背景というのは、時により非常に残酷な事態を招く。ガリレオが100年後に生まれていたら、地動説の進化もガリレオの人生も全く違っていたかも知れない。

物理学者、天文学者として、後世に名を残す、五つ星の人物である。

出典 https://ja.wikipedia.org/

イタリア、トスカーナ州生まれ

物理学者、天文学者

享年77歳

<プロフィール>

音楽家で呉服商を営んでいた父ヴィンチェンツォと母ジュリア・アンマンナーティの長男として生まれた。(7人兄弟、他に弟4人、妹2)

1581年(17歳の時)、ピサ大学に入学するが、1585年退学。1586年には、アルキメデスの著作に基づいて天秤を改良し最初の科学論文「小天秤」を発表。26歳の時、ピサ大学の教授になる。その後、1592年、パドヴァ大学で教授となり、1610年まで幾何学、数学を教えた。天文や物理の研究においては、多数派が信じている説にただ従うのではなく、実験を行い実際に起こる現象を自分の眼で確かめるという方法をとった言われている。

私生活では、ヴェネツィアで6歳年下のマリナ・ガンバ(1570年生まれ)と出会い、当時パドヴァにあったガリレオの家で一緒に暮らし始め、2女1男をもうけた。

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