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コロンブス、アメリカ大陸発見

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クリストファー・コロンブス(1451年〜1506年)

コロンブスはアメリカ大陸を発見したが、最後まで自分が発見したのはインドであると信じていたようである。1492年(41歳)の時、東の海にある黄金の国「ジパング」を目指して航海を始めたが、同年コロンブスが到達したのは西インド諸島にあるバハマ諸島の1つサルバドル島(コロンブスが名付ける)であり、アメリカ大陸(本土)ではない。実際にアメリカ大陸に到達したのは1498年になってからである。

コロンブスは更に200年前にマルコ・ポーロがアジア諸国で見聞した旅行記『東方見聞録』(とうほうけんぶんろく)から、黄金の国「ジパング」を知り日本へ向かったとされている。しかし実際は、マルコ・ポーロは日本は訪れておらず中国で聞いた噂話として収録している。

いずれにしても、コロンブスは、アジア航海に執念を燃やし、当時のスペインの女王に支援を求め6年越しで援助の約束を得たようである。船の動力は風で動く帆と水夫(人力)であり、適切な航海図もなく無謀な挑戦であったと思われるが、その信念には敬服するしかない。当時の時代背景を察すると、想像を絶する仕事を成しえたと言える。

探検家、航海者として、後世に名を残す、五つ星の人物である。

出典 https://ja.wikipedia.org/

イタリア、ジェノバ生まれ

探検家、航海者

享年55歳

<プロフィール>

毛織物職人の父ドメニコ・コロンボと母スサナ・フォンタナローサの間には、クリストファーを含み7人の子供がいたが、記録がないため兄弟の詳細は不明。

1477年以降と考えられるが、リスボンへ移った。そこには、地図製作に従事する弟のバルトロメが住んでおり、コロンブスは弟と一緒に地図作成や売買をしながら、たびたび航海にも加わっていたようである。

1479末頃(28歳頃)、フェリパ・モニス・ペレストレロ(25歳)と結婚した。なれそめはロス・サントス修道院のミサで彼女を見初めたという。

コロンブスは積極的にスペイン語やラテン語などの言語や天文学、地図、航海術の習得に努めた。そして、仕事の拠点であるリスボンでパオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリと知り合う。トスカネッリはマルコポーロの考えを取り入れ、大西洋を挟んだヨーロッパとアジアの距離は短いと主張していた。『東方見聞録』にある黄金の国「ジパング」に惹かれていたコロンブスは西廻りでアジアに向かう現実性を見出した。

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