純アルコール20gがお酒の1単位です。
ビールは中ビン1本(500ml)、日本酒は1合(180ml)、ウイスキーはダブル1杯(60ml)、焼酎0.6合(110ml)が1単位です。
自分の飲酒量を純アルコール量で記録すると、節酒に効果的です。
引用元: ・節酒 1
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引用元: ・節酒 1
クリストファー・コロンブス(1451年〜1506年)
コロンブスはアメリカ大陸を発見したが、最後まで自分が発見したのはインドであると信じていたようである。1492年(41歳)の時、東の海にある黄金の国「ジパング」を目指して航海を始めたが、同年コロンブスが到達したのは西インド諸島にあるバハマ諸島の1つサルバドル島(コロンブスが名付ける)であり、アメリカ大陸(本土)ではない。実際にアメリカ大陸に到達したのは1498年になってからである。
コロンブスは更に200年前にマルコ・ポーロがアジア諸国で見聞した旅行記『東方見聞録』(とうほうけんぶんろく)から、黄金の国「ジパング」を知り日本へ向かったとされている。しかし実際は、マルコ・ポーロは日本は訪れておらず中国で聞いた噂話として収録している。
いずれにしても、コロンブスは、アジア航海に執念を燃やし、当時のスペインの女王に支援を求め6年越しで援助の約束を得たようである。船の動力は風で動く帆と水夫(人力)であり、適切な航海図もなく無謀な挑戦であったと思われるが、その信念には敬服するしかない。当時の時代背景を察すると、想像を絶する仕事を成しえたと言える。
探検家、航海者として、後世に名を残す、五つ星の人物である。
イタリア、ジェノバ生まれ
探検家、航海者
享年55歳
<プロフィール>
毛織物職人の父ドメニコ・コロンボと母スサナ・フォンタナローサの間には、クリストファーを含み7人の子供がいたが、記録がないため兄弟の詳細は不明。
1477年以降と考えられるが、リスボンへ移った。そこには、地図製作に従事する弟のバルトロメが住んでおり、コロンブスは弟と一緒に地図作成や売買をしながら、たびたび航海にも加わっていたようである。
1479末頃(28歳頃)、フェリパ・モニス・ペレストレロ(25歳)と結婚した。なれそめはロス・サントス修道院のミサで彼女を見初めたという。
コロンブスは積極的にスペイン語やラテン語などの言語や天文学、地図、航海術の習得に努めた。そして、仕事の拠点であるリスボンでパオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリと知り合う。トスカネッリはマルコポーロの考えを取り入れ、大西洋を挟んだヨーロッパとアジアの距離は短いと主張していた。『東方見聞録』にある黄金の国「ジパング」に惹かれていたコロンブスは西廻りでアジアに向かう現実性を見出した。
個人投資家の8割~9割が負けているようですので、
「自分も勝てないんだ」と思うことがあると思います。
しかし、投資で損をしてしまう原因は、
「投資について学んでいない」「投資の学び方を間違えている」
ということが殆どのようです。
この事実をしっかり認識して取り組むことが大切です。
自分の得意な投資スタイル・投資ルールを決めることと、
取引ごとの適切な敗因分析が重要になります。
プロの投資家でも10回投資をして7回負けることもあるようですので、
何勝したとか、何敗したとかの問題ではなく、
結果いくら儲けることができたかということが重要です。
原理原則通り、負けは小さく、勝は大きくです。
とは言え、確たる投資スタイル・投資ルールを持っている人は、
何パーセントいるのでしょうか。
取引の敗因分析をしている人は何パーセントいるのでしょうか。
自分自身はどうでしょうか。
ビートルズが来日し、日本武道館でコンサートが行われました。公演は6月30日および7月1日、7月2日。地方公演は行っていません。E・Hエリックが司会を務め、前座として尾藤イサオ、内田裕也、望月浩、桜井五郎、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ブルージーンズ、ザ・ドリフターズが舞台に上がったようです。
日本の総人口が1億人を突破しました。この後は、当面日本の人口は概ね1億人という時期が続きます。ちなみに、平成22年の1億2805万人をピークに減少しています。
NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」が茶の間を独占しました。樫山文枝さん主演、朝ドラの第6作です。朝8時になると水道の使用量が極端に減ったようです。それは、家事をしている主婦が一斉に「おはなはん」を見ていたためということです。それくらい人気があったのでしょう。
テレビ番組のウルトラシリーズが始まりました。この年は「ウルトラQ」と「ウルトラマン」が放送されています。ウルトラマンのシュワッチ(掛け声)、スペシューム光線、地上で動けるのは3分間(胸のランプがピコピコ鳴る)、ウルトラ警備隊など、話題が沢山あります。
「敬老の日」と「体育の日」が制定され、日本テレビ系の長寿番組『笑点』が放送を開始しています。
ファッションでは、ロングブーツ大流行し、ミニスカートが普及したようです。
自動車は、サニー1000(日産自動車)、カローラ1100(トヨタ自動車)が発売されています。この後、サニーとカローラはライバル車となり、庶民の自家用自動車としてモデルチェンジを重ねています。
文房具では、鉛筆のハイユニ(三菱鉛筆)が発売されました。このハイユニは、当時の高級鉛筆で、普通の鉛筆が1本10円の時代でしたが、ハイユニは確か50円だったと思います。
食品では、サッポロ一番(サンヨー食品)、明星チャルメラ(明星食品)、ポッキー(江崎グリコ)、ハイクラウン(森永製菓)、柿ピー(亀田製菓)などが発売されています。
歌謡曲は、橋幸夫の「霧氷」、マイク真木の「バラが咲いた」、布施明の「霧の摩周湖」、美空ひばりの「悲しい酒」、高倉健の「唐獅子牡丹」、美川憲一の「柳ケ瀬ブルース」などがヒットしたようです。
洋画は、「007/サンダーボール作戦」、「メリー・ポピンズ」、「戦争と平和」などが公開されています。
出典 http://nendai-ryuukou.com/1960/1966.html
日経平均は3日続伸。円安ドル高基調を好感し買い先行でスタート。朝方の買いが一巡すると、前場は19200円を挟んだもみ合いが続いた。後場に入ると19300円に迫る場面もあったが、大引けは149円高の19265円で取引を終えた。なお、上場3日目の日本郵政グループ3社は利益確定売りが優勢となっている。
日経平均は続伸。円安を好感した買いで19,000円台を回復してスタートした。その後伸び悩む場面も見られたが、前引けにかけて上げ幅を広げる展開となった。後場は一時19167円(240円高)まで上昇したものの、大引けは189円高の19116円で取引を終えた。
日経平均は大幅反発。3日の欧米株高を受け日経平均も上昇してスタートし、上げ幅を拡大する展開となった。本日上場した日本郵政グループ(3社)が好調な滑り出しとなったことも好感され、後場寄り付き後に一時19151円(468円高)まで上昇したが、買い一巡後は利益確定売りに押された。結局大引けは243円高の18926円で取引を終えた。
「いざなぎ景気」という言葉を聞いたことがあると思いますが、この年が「いざなぎ景気」の始まりとなりました。いざなぎ景気とは、1965年(昭和40年)の不況を底に1970年(昭和45年)まで続いた長い好景気のことです。 景気基準日付によると、1965年10月から1970年7月までの57か月に及ぶ景気回復期間です。正に昭和時代の象徴の1つです。その後、平成になって2001年1月から2008年2月まで73か月間、景気回復を続いけた「いざなみ景気」が、昭和の「いざなぎ景気」の記録を更新しました。
3C時代と言われ、各家庭に「車、カラーテレビ、クーラー」を持つ時代にしようとしたようですが、昭和40年では3Cが1つもない家庭が殆どでしょう。いずれも高価な商品でしたので、一般家庭で簡単に買える時代ではありません。ただ、カラーテレビは徐々に購入されるようになったと思います。テレビのない時代から白黒テレビの時代へ移り、そしてカラーテレビが登場するのですが、カラーテレビで初めて観た映像は衝撃的でした。例えば、相撲取りのまわしに黒以外の色が使われていたのにも驚きましたね。驚きネタは他にも沢山あります。
プロ野球の第1回ドラフト会議が開催されています。
この時代のプロレスが大人気であったことは既にお話しましたが、この年プロレス中継の視聴率が50%を超えたようです。紅白歌合戦に相当する視聴率だと思います。力道山が亡くなった後は、ジャイアント馬場、アントニオ猪木などの日本人レスラーに加え、外国からはデストロイヤー、ボボブラジル、ブラッシーほか沢山のレスラー来日し、私たち日本人を楽しませてくれました。懐かしいですね。
初の国産旅客機YS-11が就航したのもこの年のようです。
商品では、シングル・8(富士写真フィルム)、カセットテープレコーダー(アイワ)、アイスノン(鎌田商会)、玩具のスーパーボール、ツイスターなどが発売されています。今や動画も静止画も音声も小さなICメモリーに収録される時代ですが、当時の記録媒体はフィルムや磁気テープが主流です。また、当時大流行りのスーパーボールで遊んだことを覚えています。よく弾むゴムボールですが、今も販売されていると思います。
食品では、オロナミンC(大塚製薬)、チョコレートボール(森永製菓)、ウィスキーのブラックニッカが発売されています。
歌謡曲は、加山雄三の「君といつまでも」、都はるみの「涙の連絡船」、マヒナ・スターズの「涙くん「さよなら」、北島三郎の「兄弟仁義」、田代美代子・和田弘とマヒナスターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」、菅原洋一の「知りたくないの」、石原裕次郎の「二人の世界」などがヒットしたようです。
邦画では、「007/ゴールドフィンガー」、「サウンド・オブ・ミュージック」、「シャイアン」などが公開されています。
出典 http://nendai-ryuukou.com/1960/1965.html
チャレンジする人が多く成果が出るのも早いと言われ、ジムでも推奨していることがある「糖質制限ダイエット」「炭水化物抜きダイエット」は、
主食であるお米やパンをできる限り食べないようにするというダイエット法で、今とても人気がある。
しかし、このダイエット法は多くのリスクがあるという。体に必要な3大栄養素のひとつである炭水化物(糖質)を減らすと、
体力や代謝、集中力の低下、疲労感、ダイエット臭(ケトン臭)といって口臭や体臭がするなど様々な弊害が現れるほか、
「炭水化物以外なら何を食べてもOK」という考えで栄養バランスを考慮せずにこのダイエットが行われる場合、危険性がさらに高まってしまうというのだ。
ダイエット食品『マイクロダイエット』を展開するサニーヘルス株式会社でも、同社が運営するダイエット情報発信サイト『microdiet.net』にて
「炭水化物抜きダイエット」に関する記事を公開しているので紹介したい。
■炭水化物以外ならどれだけ食べてもOK!に潜む罠
炭水化物抜きダイエットでは主食であるお米などの量が少なくなる分、他のおかずを食べる量がどうしても増える。
野菜で食事のボリュームを補うのであればよいのだが、メインの肉や魚などのおかずの量が増えてしまうと、結局カーオーバーとなってしまうことも。
炭水化物とタンパク質は体内での使われ方は異なるが、どちらも1グラムあたり4キロカーと同じ。
それだけではない。炭水化物抜きダイエットでは、お米やパンはNGだけど肉ならいくら食べても良いという話が雑誌やインターネットなどで
散見されるが、こうした食べ方は体の負担が増え、美容面だけでなく健康を損なってしまうこともある。肉の主成分は動物性タンパク質であり、
体の組織やホルモンなどを作るために必要なタンパク質が摂取でき、吸収率が高いという点では優れている。
しかし食べすぎればタンパク質、動物性脂肪、コレステロールなどの過剰摂取になり、腎臓、血管、心臓などへの負担が増え成人病の
リスクを高めるほか、分解に時間がかかるため消化が不十分となり腸内の悪玉菌が増殖。悪玉菌は動物性たんぱく質や動物性脂肪を好むため、
腸内で腐敗し毒素を発生させてしまう。
では、同じ動物性食品の魚はどうなのか。肉の食べすぎは体に良くないことは知られていますが、魚は逆に体に良いというのが通説だ。
魚の主成分もやはりタンパク質だが、油の質が肉とはまったく異なる。肉の脂肪は飽和脂肪酸という種類の脂肪で、過剰摂取は
悪玉コレステロールを増やしてしまうのに対し、魚の脂肪はDHA・EPAといったオメガ3脂肪酸がメインだ。
これらの脂肪酸は体内では作ることのできない必須脂肪酸で、肉の脂肪のように血液をドロドロにしてしまうどころかサラサラにする作用があり、
体脂肪として蓄積されにくいという特徴がある。
■健康的に肉を食べるには
肉を食べるのであれば、野菜や海藻、きのこを一緒に食べることがポイント。食物繊維が豊富なこれらの食品は、腸内の善玉菌の
エサとなり腸内環境を良くしてくれる。また、血糖値の急上昇を防ぎ満腹感も得られるなどダイエット面でも良いことばかり。
一食で食べる肉の適切な量の目安は、自分の指の部分を除く手のひら一つ程度。野菜は生野菜なら両手でお椀を作って乗る程度、
加熱した野菜なら片手に乗るぐらいが目安にしよう。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151102-00010005-dime-sci
日経平均は大幅反落。先週末の米国株の続落や中国の経済指標が市場予想を下回ったことなどを嫌気して255円安からスタートし、その後も軟調に推移。後場は一時18641円(441円安)まで下落する場面があったが、売り一巡後は18700円を挟んだもみ合いとなり、大引けは399円安の18683円で取引を終えた。
ヘレン・ケラー(1880年〜1968年)
ヘレンは、2歳になる前に高熱のため目と耳が不自由になった。何も見えず、何も聞こえず、自分の意思を人に伝えることができないことに、とても苦しんだに違いない。両親は、ヘレンに書くことを覚えさせなければならないと考え、7歳になる少し前に、サリバン先生に家庭教師を依頼した。サリバン先生は、ヘレンの右手に井戸の水をかけ、左手に「W-A-T-E-R」と書き、それを何十回も繰り返すことで、右手で受け止めているのが「水」で、その文字は「WATER」なのだと教えた。ヘレンは、1年後には点字が読めるようになり、思っていることを指文字で伝えることができるようになった。そして、サリバン先生との二人三脚で猛勉強を重ね大学に合格。その後、障害のある人々の福祉向上のために世界中で活動している。活動の一環として3度来日。ちなみに、サリバン先生は約50年間、よき教師として、よき友人として、ヘレンを支えた。
教育家、社会福祉活動家として、後世に名を残す、五つ星の人物である。
アメリカ合衆国、アラバマ州タスカンビア生まれ
教育家、社会福祉活動家
享年87歳
<プロフィール>
父アーサー・ケラーと母のケイト・アダムス・ケラーの長女として生まれた。(兄弟は異母兄が2人、同母妹1人)
1900年10月(20歳の時)、ラドクリフ女子大学(現ハーバード大学)に入学。1902年『わたしの生涯』を出版。1904年、ラドクリフ女子大学を卒業、文学士の称号を得る。1918年、ハリウッドで自叙伝を映画化した「救済」に出演している。
ヘレンは福祉活動のみならず、広範囲な政治的関心を持って活動した。当時としては先進的な思想を持ち、男女同権論者として婦人参政権、避妊具の使用を主張。また、人種差別反対論者であり、過酷な若年労働や死刑制度に反対した。
私生活では、秘書で元新聞記者のピーター・フェイガンと相思相愛となり婚約したが、ヘレンの家族の反対に遭い破談となった。これが最初で最後の恋愛で、生涯独身を通した。