ヘレン・ケラー(1880年〜1968年)
ヘレンは、2歳になる前に高熱のため目と耳が不自由になった。何も見えず、何も聞こえず、自分の意思を人に伝えることができないことに、とても苦しんだに違いない。両親は、ヘレンに書くことを覚えさせなければならないと考え、7歳になる少し前に、サリバン先生に家庭教師を依頼した。サリバン先生は、ヘレンの右手に井戸の水をかけ、左手に「W-A-T-E-R」と書き、それを何十回も繰り返すことで、右手で受け止めているのが「水」で、その文字は「WATER」なのだと教えた。ヘレンは、1年後には点字が読めるようになり、思っていることを指文字で伝えることができるようになった。そして、サリバン先生との二人三脚で猛勉強を重ね大学に合格。その後、障害のある人々の福祉向上のために世界中で活動している。活動の一環として3度来日。ちなみに、サリバン先生は約50年間、よき教師として、よき友人として、ヘレンを支えた。
教育家、社会福祉活動家として、後世に名を残す、五つ星の人物である。
アメリカ合衆国、アラバマ州タスカンビア生まれ
教育家、社会福祉活動家
享年87歳
<プロフィール>
父アーサー・ケラーと母のケイト・アダムス・ケラーの長女として生まれた。(兄弟は異母兄が2人、同母妹1人)
1900年10月(20歳の時)、ラドクリフ女子大学(現ハーバード大学)に入学。1902年『わたしの生涯』を出版。1904年、ラドクリフ女子大学を卒業、文学士の称号を得る。1918年、ハリウッドで自叙伝を映画化した「救済」に出演している。
ヘレンは福祉活動のみならず、広範囲な政治的関心を持って活動した。当時としては先進的な思想を持ち、男女同権論者として婦人参政権、避妊具の使用を主張。また、人種差別反対論者であり、過酷な若年労働や死刑制度に反対した。
私生活では、秘書で元新聞記者のピーター・フェイガンと相思相愛となり婚約したが、ヘレンの家族の反対に遭い破談となった。これが最初で最後の恋愛で、生涯独身を通した。