ヘンリー・フォード(1863年〜1947年)
アメリカ合衆国の自動車社会は、フォードが目指した大衆向けの実用的自動車の大量生産に成功したことから始まる。フォードは、高性能で低価格のガソリン自動車の研究を続け、1903年(40歳の時)フォードモーター社を設立。そして、流れ作業による自動車生産で、T型フォードをはじめフォード車の開発・生産を進め、ガソリン自動車の普及に大きく貢献した。
企業家、自動車開発者として、後世に名を残す、五つ星の人物である。
アメリカ合衆国ミシガン州ディアボーンで生まれる
企業家、フォードモーター社の創設者
享年83歳
<プロフィール>
農場を経営する父ウィリアム・フォードと母メアリ・リトゴット・フォード の長男として生まれる(6人兄弟)。1876年(13歳の時)母が亡くなる。
十代になると父から懐中時計を与えられ、15歳の頃には友人や近所の人たちの時計を何度も修理し、その技術が評判になる。父は農場を継いでもらいたかったが、フォードは農作業を嫌い、16歳の時、家を離れ近隣都市デトロイトの会社に見習い機械工として就職。
19歳の時、ディアボーンに戻って農場の仕事をするが、ウェスティングハウス製の可搬型蒸気機関の操作を修得し、ウェスティングハウス社で蒸気機関の修理工として雇われる。
28歳の時、エジソン証明会社(トーマス・エジソンの会社)の技術者となり、内燃機関の実験に時間を費やすことなる。その後、33歳の時、4輪自動車の製作に成功。
36歳の時、デトロイト自動車会社を創業するが、期待した性能・価格の自動車生産に及ばず解散。その後も自動車の改良に努め、80馬力のレースカーを製作し、1902年の自動車レースで優勝。その優勝をきっかけに、1903年(40歳の時)フォードモーター社を設立し、大衆向けの実用的自動車の開発を進め、やがて流れ作業による大量生産に成功。T型フォード車をはじめ、各種フォード車を世界中に広める。
私生活では、1888年(25歳の時)、クララ・アラ・ブライアント(22歳)と結婚。子供は息子のエドセル (1893–1943) 1人。