昭和40年
「いざなぎ景気」という言葉を聞いたことがあると思いますが、この年が「いざなぎ景気」の始まりとなりました。いざなぎ景気とは、1965年(昭和40年)の不況を底に1970年(昭和45年)まで続いた長い好景気のことです。 景気基準日付によると、1965年10月から1970年7月までの57か月に及ぶ景気回復期間です。正に昭和時代の象徴の1つです。その後、平成になって2001年1月から2008年2月まで73か月間、景気回復を続いけた「いざなみ景気」が、昭和の「いざなぎ景気」の記録を更新しました。
3C時代と言われ、各家庭に「車、カラーテレビ、クーラー」を持つ時代にしようとしたようですが、昭和40年では3Cが1つもない家庭が殆どでしょう。いずれも高価な商品でしたので、一般家庭で簡単に買える時代ではありません。ただ、カラーテレビは徐々に購入されるようになったと思います。テレビのない時代から白黒テレビの時代へ移り、そしてカラーテレビが登場するのですが、カラーテレビで初めて観た映像は衝撃的でした。例えば、相撲取りのまわしに黒以外の色が使われていたのにも驚きましたね。驚きネタは他にも沢山あります。
プロ野球の第1回ドラフト会議が開催されています。
この時代のプロレスが大人気であったことは既にお話しましたが、この年プロレス中継の視聴率が50%を超えたようです。紅白歌合戦に相当する視聴率だと思います。力道山が亡くなった後は、ジャイアント馬場、アントニオ猪木などの日本人レスラーに加え、外国からはデストロイヤー、ボボブラジル、ブラッシーほか沢山のレスラー来日し、私たち日本人を楽しませてくれました。懐かしいですね。
初の国産旅客機YS-11が就航したのもこの年のようです。
商品では、シングル・8(富士写真フィルム)、カセットテープレコーダー(アイワ)、アイスノン(鎌田商会)、玩具のスーパーボール、ツイスターなどが発売されています。今や動画も静止画も音声も小さなICメモリーに収録される時代ですが、当時の記録媒体はフィルムや磁気テープが主流です。また、当時大流行りのスーパーボールで遊んだことを覚えています。よく弾むゴムボールですが、今も販売されていると思います。
食品では、オロナミンC(大塚製薬)、チョコレートボール(森永製菓)、ウィスキーのブラックニッカが発売されています。
歌謡曲は、加山雄三の「君といつまでも」、都はるみの「涙の連絡船」、マヒナ・スターズの「涙くん「さよなら」、北島三郎の「兄弟仁義」、田代美代子・和田弘とマヒナスターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」、菅原洋一の「知りたくないの」、石原裕次郎の「二人の世界」などがヒットしたようです。
邦画では、「007/ゴールドフィンガー」、「サウンド・オブ・ミュージック」、「シャイアン」などが公開されています。
主な出来事
出典 http://nendai-ryuukou.com/1960/1965.html
- いざなぎ景気
- 3C時代(車、カラーテレビ、クーラー)
- プロ野球第1回ドラフト会議開かれる
- 朝永振一郎氏、ノーベル物理学賞受賞
- 公共料金、諸物価の値上げ
- 視聴者参加番組人気
- プロレス中継が視聴率51.2%に
- 日本サッカーリーグが開幕
- 長野県で約5年間続く松代群発地震が始まる
- 日本最初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』放送開始
- エレキギターブーム
- 大学生100万人突破
- 富士山レーダー観測開始
- 初の国産旅客機YS-11が就航
- 国鉄がみどりの窓口開設