昭和45年
日本万国博覧会「大阪万博」の年です。大阪万博というと、いろいろなことを思い浮かべるでしょうが、まずは岡本太郎が設計した高さ70Mのタワー「太陽の塔」でしょうか。
「太陽の塔」 出典:https://ja.wikipedia.org/
三波春夫さんが歌った「世界の国からこんにちは」は大いに元気を与えてくれました。「こんにちは、こんにちは・・」で始まるあの歌ですよ。1番だけでも復唱してみましょう。
こんにちは、こんにちは、西の国から
こんにちは、こんにちは、東の国から
こんにちは、こんにちは、世界のひとが
こんにちは、こんにちは、さくらの国で
1970年のこんにちは こんにちは、
こんにちは 握手をしよう
「人類の進歩と調和」をテーマに、77ヵ国が参加し、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった日本の象徴的なイベントでした。
ボーリングがブームになり、次々と沢山のボーリング場がつくられました。1ゲーム300円だったと思います。その後、早朝150円など、いろいろなパターンがでてきました。女子プロボーラーが大人気となり毎週テレビ放送もありました。中山律子さんや須田佳代子さんを思いだしますね。
ケンタッキー・フライド・チキンの1号店が名古屋に、マクドナルド1号店が銀座店にオープンしたのもこの年です。その後、ケンタもマックも日本中に店舗展開されていますが、日本でこんなに受けいられれるとは当時予想できたでしょうか。
「ちり紙交換」が商売として開始されたのもこの年のようです。「古新聞、古雑誌、ぼろきれなど・・・チリ紙と交換いたします」とアナウンスしながらゆっくり車を走らせていました。古紙再生、リサイクルの時代へ変化していく時期だったのでしょうが、古紙が高値で売買されていたことから「ちり紙交換」が流行ったのでしょう。
商品では、若者に人気の自動車セリカ(トヨタ自動車工業)、保温ジャーの象印電子ジャー(象印マホービン)が発売されています。男性化粧品のマンダム(丹頂)やシャンプーのメリット(花王)が発売されたのもこの年のようです。
流行語では、三無主義(無気力、無関心、無責任のことで当時の若者を表わす言葉)などが流行りました。三無主義、懐かしいですね。
歌謡曲では、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」、由紀さおりの「手紙」、菅原洋一の「今日でお別れ」、渚ゆう子の「京都の恋」などが流行ったようです。
洋画では、「サウンド・オブ・ミュージック」、「続・猿の惑星」、「シェーン」などが公開されています。
主な出来事
出典:http://nendai-ryuukou.com/1970/1970.html
- 日本万国博覧会(大阪万博)開幕(入場者6,421万 8,770人)
- 日本航空機よど号ハイジャック事件発生
- ボーリング・ブーム
- ケンタッキー・フライド・チキンの1号店が名古屋にオープン
- マクドナルド日本第1号店が銀座店にオープン
- 「ちり紙交換」開始
- ウーマン・リブ大会
- 国産人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功
- 電電公社(現・NTT)がキャッチホンの発売を開始
- アポロ13号打ち上げ
- FM東京・大阪音楽FM・福岡FM音楽放送が本放送開始
- 植村直己・松浦輝夫がエベレスト登頂に成功
- 日本初の歩行者天国が銀座、新宿、池袋、浅草で実施
- 初の公害メーデー実施
- 広島ホームテレビ開局